遺言イメージ

自分の意見である遺言はしっかりとした書類で残しておきたい

現在の私には特に残すような立派な財産などはありません。
したがって遺言などを残す必要も余り感じられないのですが、何も残す物について自分の意見を
述べる為だけに遺言を残すのではなく、お葬式の形式など自分が居なくなった後に自分に対して行って欲しい事について文章にして残しておいても良いのではないでしょうか。

財産の分配方法など、自分の子供や親族などに対してしっかりとした意思を残しておかなければならない場合には、弁護士などを交えてしっかりとした書面として残しておく必要があるかもしれませんが、
単に自分の希望だけを書き綴りたい場合であれば余り難しい事などを考えなくとも良いのではないかとも思っています。

自分という存在が居なくなってしまえホ自分の意見を逐一他の人に対して伝える事はもう出来なくなっているという事です。
その感覚がどういった物であるかについては経験した事などがない為にわかりませんが、
葬式の内容など自分の意見が一切反映される事なく決まってしまう事は少し残念な気もします。

そして残していく自分の家族や兄弟、親族に対して何の言葉もかける事が出来ない状況というのは少し物悲しい物です。
出来れば親しい人にだけでも何らかの形で手紙などを残しておいても良いのではないかと考える時もあります。

子供が幼い場合には、親である人が遺言を残さなければならなくなった際に最近では動画や映像にて言葉をしっかりと自分の声で残す方法を取る人もいます。
子供が成人などをするまで毎年誕生日などに渡す事が出来るようにその分の数のプレゼントを準備しておく人もいるようです。
遺言とは何も、財産を残す分配方法などのみを記載する物なのではなく、自分が居なくなってしまった後にしっかりと自分の意志を残しておく為の物なのです。
ですから普段の日記の中でも構わないのではないかとも考えます。

人は生きている限り何が起こるかわかりません。
ですから日記などをほんの短文であったとしても毎日つけ、その中で気が向いた時や書きたいと感じた時に逐一遺言の言葉を書き残すようにしても良いのではないでしょうか。
それはほんの小さな事であっても良いのです。
その日耳にした音楽がとても気に入ったと感じたならば、自分のお葬式の際にはさの曲を流して欲しいなどとユーモアを交えて決してネガティブな表現になる事なく書き綴ってみてはどうでしょう。

もしも自分に何かが起こってしまい、家族がその日記を発見した時には少し悲しみを和らげる事が出来るような面白い表現を行っても良いのではないでしょうか。
時間が流れればいずれ自分という存在は忘れ去られていってしまう事でしょう。
何も残している物がなければそうなりますが、文章であっても写真であっても何らかの物を残す事によって自分という存在が居たという事を長い時間に渡って証明する事が出来ます。

世界の名だたる名画を描いた作者や名曲を作曲した作曲家などが死後何百年も経過している人も居るにも関わらず、今でもその存在が偉大であるとされ、人々の記憶に残り続けています。
ある意味では、そういった芸術家の作品は全てにおいて彼らの生きた証であ閨A彼らの遺言なのではないかとも感じる事が出来ます。
自分自身にそれ程偉大な価値が無かったとしても人としての一生は平等です。
何かを残す事によって何かを伝え残す事はとても大切なのです。

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